音楽のちから 20/7/28

ぼんやりと、あまりにも漠然といろいろなことに思いを巡らせていたとき。
ふいに「相手のことを考えている時間が多くなるほど相手を好きになる」を思い出した。『A子さんの恋人』に出てきた説で、「ミュージシャンはなぜモテるのか」の根拠になる
これはなかなか納得しやすい話で、聞く=その曲のことを意識する=歌手のことを考えている=好きが増すということだ。
作中では個人を思い出すキーアイテムを視界に常に置くことにより、それを見るたびに相手のことを考えてしまう、こんなに考えてしまうなんて自分はかなり相手のことが好きなのでは?!という手順でその効果を言い表している(作中での用いられ方は皮肉の文脈だったが)。

なるほどその通りである。

そんなことを思い返していたら、イヤホンから流れていた曲が終わりを迎えてしまった。ランダム再生の設定が解かれていたので僕は次の曲を自分で選ばなければならない。
アップルミュージックに集められたお気に入りの楽曲たちをざらっとスクロールし物色する。
京アニ作品のサントラ、清竜人のミッドナイトソング原曲、プリパラ……
飽き性と凝り性のハイブリッドヒューマンなので登録されている楽曲が定期的に色変わりしている。
ごちゃごちゃしてんのかまとまってんのかよくわからない集合体だ。
そんななか僕の心を射止めたのはストレイライトのシングルCDだった。
理由は簡単である。
先日のアイマス15周年記念配信をぼんやりと享受していた僕は、今、なんとなく、アイマスへの関心が高いのだ。
その配信ではまだ登場していなかったストレイライトを聞きたいな、と、なにげなく選択したのだった。

ああ、アイドルコンテンツの強みの理由はここなのか。

現実でアイドル戦国時代が過ぎ去って久しいが二次元はまだまだアイドルがトップを走っている。

アイドルが流行るのはわかる。メディア展開がしやすいからだ。
アイドルはなんでも体験できるマルチタレントなのだ。リアリティもできる、ファンタジーもできる。職業がアイドルというだけで物語のジャンルの垣根がなくなるこの自由度の高さ。

さらに得体のしれない「トップアイドル」とかいう謎の概念を追いかけている。これも終わりがなくストーリー展開に幅ができる。

そしてなによりもメディア展開のうちでも大部分を占めているであろう「音楽」も強い。
CDが売れるしリアルライブができる。

あと、やっぱり『音楽のちから』はすごいから。

そう考えていた。
漠然。あまりにも漠然とした『ちから』に信頼を預けていた。

なんか知らんけどスピリチュアル的に「すごい」と言ってしまっていい魔力が芸術にはある(ソレがあるのはもちろんわかっているが今回の話とは別なので割愛する)。
完全に翻弄されていた。
そうじゃないのだ。
理由はあった。

アイドルには、本コンテンツを楽しむこと以外の、”楽曲を聞く”ことにより圧倒的に『コンテンツのことを考えている時間』が増える。
アニメを見なくても、ゲームをしなくても、漫画を読まなくても、
音楽をかけることは気軽にできる。他ごとをしている最中にもできる。
一番アクセスの良いツールなのだ。

「相手のことを考えている時間が多くなるほど相手を好きになる」は、
「自分を好きにさせるには自分のことを考えさせる時間を増やせばいい」なのだ。

なるほどその通りである。

アイドルも、バンドも、ラップも、DJも、ミュージカルも。
音楽のちから」がすごいからみんなが夢中になるのではなく
「音楽」という一番アクセスの良いツールを用いてユーザーの時間を占領しているから夢中になれるのだ。

同じ音楽でも劇伴では効力は薄い。
僕は劇伴好きなので見ているアニメ数のわりには熱心に劇伴を聞いている方だと思う。
でもライトなオタクでそんなことをする人は多分少ない。僕もライトに見てるアニメの劇伴聞こうだなんて思わない。
世間一般的にクラシックよりもインストゥルメンタルよりも歌詞付きの歌の方がポピュラーだからだ。(ポピュラーというのは、つまり、その方が人気があるということだ。)
劇伴への腰は重いが楽曲への腰は軽いものだ。

同じ根拠で悪い例を上げるとしたらFGOだ。
クソゲーとして産声を上げ改善はみられているものの、いまだ周回がダルいクソゲーのポジションに鎮座している。
だがFGOはそのクソみたいなゲームシステムをもってして、ユーザーの時間を占領しているのだ。
ヘイトを溜めようがFGOを触る時間が伸びるのならかまわないのだ。憎い。しかし間違いではない。

実際僕は全然FGOにヘイトがたまってない。やってないからな。好きの反対は無関心。まあ一理ある。そういうことだ。

かくしてアイドルモノが流行る一因について思考を巡らせているうちに職場についた。

おわり